ずっと行きたいと思っていた、広島に来た。
マレーシアでお世話になった人は、日本に行くなら東京か京都か広島だと言っていた。
私が広島は行ったことがないと言うと、驚いていた。
原爆ドームと厳島神社。世界遺産を2つも保有している場所に行ったことがなかったとは。
今日は平和祈念資料館に行った。
月並みな表現だが、心に来た。
世界遺産になっているのは原爆ドームだが、あれは知識があってこそその重みを理解できるものだろう。
資料館の構成が非常に良かった。
最初に原爆投下当日の衝撃的な被害を見せてから、後遺症について、残された遺族についてを見せ、広島に原発が落とされた経緯を解説し、最後に核兵器は現在も開発されていることと核兵器廃絶に向けた活動を紹介する。
考えさせられる内容だった。
あの衝撃的な原発の被害を繰り返さないための唯一の手段として、核兵器ゼロの世界を目指す。
平和への思いが、多くの人によって綴られていた。
1周目を3時間近くかけて見た後、レストハウスで余韻に浸り、その後音声ガイドを借りてもう一周した。
1945年8月6日、午前8時15分。
広島に原爆が投下されてから12月までの死亡者は推定14万人。
原爆後遺症を含めればその数はもっと大きいだろう。
主な死因や後遺症は以下の通り。
- 建物倒壊
原爆のきのこ雲によって、強烈な爆風が発生する。
建物は倒壊し、その下敷きになった人が死ぬ - 火災
爆発するときに熱線が放たれる。その熱線による発火や、建物倒壊時に使用していた火器によって火災が発生する。
建物の下敷きになっていた人は、生きたまま焼かれることになる。 - 火傷などの負傷
ガラスの破片が飛んできたり、熱線でひどい火傷を負ったり。
火傷を負った人々は、口々に水を求めたそうだが、火傷に水をやると死ぬと言われていたため、子供が水を求めても大人はやらなかった。
実際には、火傷をすると体内の水分が奪われて脱水状態になるので、水を飲むことが悪いのではない。命に係わる火傷を負った状態で水を与えられたため、緊張の糸が解けて死んでしまったようだ。
水を求めて川に飛び込んだ人の多くが帰らなかったという。 - 放射線
胸部CTスキャンで受ける放射線量が6.9mSvなのに対して、原爆の光を直接浴びた人が受けた放射線は4220mSv以上。
爆心地から1km以内で直接放射線を受けた人は、ほとんど亡くなった。
見た目上無傷でも、発熱、下痢などの症状で死んでしまう。栄養失調などの総合的な問題もあった。
原爆の熱と雲によって発生した「黒い雨」も放射線を含んでおり、火災の熱でのどが渇いていた人はそれを飲もうとした。 - 残留放射線
直接放射線を受けなかった人も、建物や地面に残った残留放射線を受けた。
8月6日には、火災が燃え広がるのを予防するために建物を壊して空き地を作るという建物疎開が行われており、市外からも多くの学生が動員されていた。
広島市内にいた我が子を探すため、または救護活動のため、翌日以降に広島市内に入った人々も残留放射を受け、しばらくしてから体調不良になった。
倦怠感、発熱、下痢、鼻血、歯茎からの出血、血の斑点、脱毛、白血球の減少などが起きる。 - 病気
放射線による免疫力低下で、肺炎などの合併症になる。
被ばくしたことによる癌や白内障の発症率の増加。 - 貧困
被ばくすると倦怠感や免疫力の低下があり、働くことが難しい。
見た目上は無傷であることから、周囲の理解も得にくい。倦怠感が強くすぐに休憩するので「ブラブラ病」などと揶揄された。
働かなければ餓死の危機、働けば苦痛。
入院しても治療法がなく、寝ていることしかできない。 - 胎内被ばく
母親が被ばくしたことで間接的に被ばくし、生まれてきた子供は小頭症が多く、知的障害があった。
誰がこんな惨状を経験したいだろうか。経験させたいだろうか。
核のない世界に、私は懐疑的だった。
「日本は核兵器を持たないから、誰も日本には攻撃しないで」なんて、都合が良すぎないだろうか。
世界はそんなに甘くない。
それよりも、「うちは最強の兵器を持っている。攻撃してきたらこれを使うから、攻撃しないように」と言う方が合理的だ。
しかし、平和祈念資料館の資料を見せられると、「この被害を繰り返さないための唯一の手段は核兵器の廃絶」という主張も呑み込めてしまうような気がする。
いや、本当は呑み込めない。
要は使い方次第だから。
火事を起こさないために火の使用を禁止しようとか、刺殺事件を起こさないためにナイフの生産をやめようとか、そんなことにはならないわけで。
原子力発電のようなエコな使い方もできる原子力を、爆弾に使ってしまったという話なのだ。
今頃世界の核兵器を全て処分したところで、核兵器の作り方が忘れられるわけではない。
核兵器をなくすことが難しいなら、せめて打たせないようにしなければならない。
広島のように一方的に核兵器が撃ち込まれるのではなく、核戦争が起きた場合、核の灰は世界を覆い、地球の気温が下がり、核の冬となり、食糧生産能力が低下して世界中で飢饉が起きる。
この事実は核を打つ抑止力にはなるだろう。
しかし、まだ最初に核を打つ側の抑止力になっていない。
それを抑止する方法が、その先の未来について考えさせることだと思う。
原爆投下前、原爆を開発したマンハッタン計画に関わっていた科学者は無警告の攻撃に反対したそうだ。
人類で最初の原爆被害を無警告で起こしたとあっては、戦後、国際社会から非難を浴びると。
結果的に、日本人の戦意を削ぐためには心理的な衝撃が必要だという主張が優先され、無警告で原爆は投下されて甚大な被害が出た。
それでもアメリカが国際社会からの非難を浴びていないのは、アメリカが戦後も世界の中心だったからというのと、戦後日本の復興に貢献し、今の日本を築いたからだろう。
今でもアメリカでは、戦争を長引かせないために原爆投下が必要だったと、原爆が正当化されている。
原爆投下直前に日本に降伏を促したポツダム宣言で原爆の存在を示唆していたとしても、天皇制の存続を認めて日本が降伏しやすいようにしていたとしても、あの頃の日本を止められていたかどうかは分からない。
原爆を投下せずソ連が対日戦に参戦してから降伏させたのでは、戦後のソ連とアメリカの優位関係が拮抗して冷戦が熱戦になっていたかもしれない。
原爆開発のためのマンハッタン計画にかけた莫大な予算も、終戦のためだったと国民に納得させたかった。
そんな状況の中で、甚大な被害を民間人に与えると分かっていながら原爆を投下したアメリカの選択を、完全に攻めることはできないのかもしれない。
原発の被害が分かった今、国際社会は、次に原発を打った国を徹底的に非難しなければならない。
1945年と違って、現在は原爆がどんな被害をもたらすのかが分かっている。
それを分かっていて投下したのだから、その後戦争に勝ったとしても国際社会が許さない。
これだけグローバルにビジネスを展開することが当たり前になっているのだから、国際社会から見放されて豊かになれるはずがない。
日本は非核三原則を守り続けるべきだと思う。
核兵器廃絶を、平和を願い続ける国としてブランディングしよう。
実際に打ってしまえば国際社会に非難されると分かっているものにお金をかけるより、もっと他の物にお金をかければどれだけ国が発展するか、見せつけてやろう。
そうすればいつか、どの国も核兵器を開発するのが馬鹿らしくなるでしょ。
現在に目を向ければ、ロシアによるウクライナ侵攻だ。
日本の歴史を見れば、ポツダム宣言時点で、いやもっと前に降伏していればどれだけ良かったかと思うが、これをウクライナに適用することはできないのだろう。
日本はたまたま、「日本」として国を残して独自の文化を築くことができたが、相手がアメリカでなければそうはならなかったのかもしれない。
それに、あの戦争は日本が仕掛けたものだったが、今回の件はロシアが仕掛けたウクライナへの侵略だ。
アメリカによるベトナム侵攻などを参考にした方が良いだろう。
一つ言えるのは、私はウクライナが終戦したら、ウクライナ復興のために寄付をしたい。
ウクライナには、復讐のために軍事費を増やすのではなく、このような被害を繰り返さないために被害の有様を伝えるとともに、国際社会の支援を受けて経済大国になってもらいたい。
ロシアは国際社会に非難されるべきだ。
民主的政治がされているのかも曖昧だし、国民一人一人が悪いわけではないだろう。
それでも、ロシア政府には戦争は失敗だった、トータルで考えれば軍事費はかかるは国際社会からの非難で経済は縮小するわで悪いことしかなかったと理解してほしい。
ロシア国民にも、そんな政府を止められなかったことを悲しんでほしい。
その悲しみを受け止めた人に、次の大統領になってほしい。
国と国の間に境を作るから戦争が起きるのだ。国境について考えるのはやめて、国際社会の中の自分の立ち位置、自分が国籍を持つ国のブランドを考えれば、戦争を仕掛けようなんて思わないだろう。