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【クオータ制の意義】マイノリティにとっても差別?それでも採用する意義は

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最近、私の会社にもクオータ制に近い制度があることが分かりました。
シニアマネージャー(課長レベル以上)に昇格させる人数を男女同数にする決まりがあるようなのです。

年功序列の会社ではありませんが、シニアマネージャーになるのは28歳~35歳くらい。
最近の新卒社員の男女比は概ね1:1ですが、出産・育児のため仕事を離れる人もいるので、マネージャーの男女比は男性の方が多くなります。

昇進させても良いレベルの男性マネージャーが3人いるのに対して、女性マネージャーが2人しかいなかった場合、男性マネージャー1人を昇進をやめるか、やや力の劣る女性マネージャーに昇進にチャレンジさせた上で男性も昇進させるかという議論になります。
そして多くの場合、やや力は劣るが男性マネージャーを昇進させるために、女性も昇進させようということになるようです。

チャレンジさせられて昇進した女性は得をしているのでしょうか?
確かに給料は上がります。
しかし、もう少しマネージャーとして経験を積んでいれば良いシニアマネージャーになれたのに、無理やりシニアマネージャーにされたために初回のプロジェクトで失敗して、精神的に壊れてしまう人もいます。
さらに、3年以上シニアマネージャーの中の同じ階級にいた場合は転職や社内転職を薦められる制度もあります。
簡単に言うと、マネージャーの力がついていないのに無理やりシニアマネージャーになり、そのままシニアマネージャーとして成果を上げられずに3年たってしまうと、クビになるというわけです。

アファーマティブアクションで損をするマイノリティ

積極的に格差を是正しようとする制度を、アファーマティブアクションと呼びます。
前述の、昇進させる人の男女比を1対1にしようというのもアファーマティブアクションです。

アメリカでは、歴史的に有色人種が差別されてきたので、この人種差別を是正するためにアファーマティブアクションがとられています。
例えば、大学入試にも有色人種枠があり、有色人種の方が低い点数でも合格できる場合があります。

これに対して、白人は逆差別だと反発してきました。
一方、有色人種の中にもアファーマティブアクションを止めてほしいと主張する人がいます。
多くの人が医学部にも有色人種枠があると知っている世界で、自分の子供を有色人種の医者に見せる親がいるでしょうか?
アファーマティブアクションが取られているせいで、優秀な有色人種の医者でも「有色人種枠で採用された、合格した」と思われ、さらに差別される可能性があるのです。

それでもクオータ制が必要な理由

マジョリティーにとっては逆差別、マイノリティーにとっても手放しには喜べない。
日本の場合、多くの場面でマジョリティーは男性、マイノリティーは女性と言い換えられます。
そんなアファーマティブアクションが、なぜ求められるのでしょうか。

全ては多様性のため

一番わかりやすい環境を考えるなら、政治でしょう。
政治家には実行力や発言力やタスク遂行のスピードも大事ですが、それ以上に、とにかく社会にいる全員の思いを論点に挙げてもらわなければなりません。
どれだけ能力的に優秀な人でも、自分と全く違う生き方をしてきた人の気持ちを理解することは不可能です。
社会に男性と女性が同じ数いるなら、政治家の男性と女性の数も同じにしてほしい。
社会に一定数日本国籍を獲得した外国人がいるなら、外国出身の議員も必要でしょう。

会社でも同じような話があります。
男性しか使わないサービスについて、男性だけで考える。
これはまだ分かりますが、消費者の男女比が1対1だと思うなら、消費者目線で考えるためには社員も男女比1対1であるべきでしょう。

それだけではありません。
私がやっているシステム導入でも、プロジェクト後半に中国の運用チームに仕事を引き継ぐことがあります。
開発期間中ずっと自分と同じような環境で育ってきた人とだけ仕事をしていると、引き継ぐタイミングになって今までいかに日本らしいハイコンテクストなコミュニケーションをしていたのかに気付きます。
開発ではなく運用に特化した人材に引き継ぐからというだけでなく、文化や言語の違いからきている部分があるのでしょう。

クオーター制は、マイノリティのためでもマジョリティーのためでもない

クオーター制が逆差別、という主張は、どこかズレているような気がしてきました。
マジョリティーにとっては逆差別だと感じることもあるでしょう。
マイノリティーにとっても、本当に優秀なのに「マイノリティー枠で採用/合格した」と思われる苦しみがあります。

誰かが得をするための制度ではなく、社会の全体最適をとるための制度だと思うのです。
クオーター制がなくなった方が良いのは当然で、それは、「差別なんてなくなれば良いのに」と言うことと同義です。
差別がなくなれば良いと思っていても、思っているだけではなくならないから制度ができた。
そういうことなんだと思います。

差別がなくなった日には、クオーター制も廃止させれば良い。
でも、差別がなくなった日には、クオーター制があってもなくても採用や昇進、合否において、マイノリティとマジョリティの区別がつかないはずです。
規定した数以上にマイノリティの割合が増えた時が、クオーター制廃止の時で、その頃にはクオーター制は廃止されてもマイノリティの数が維持される状態になるはずだと考えています。

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