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夏目漱石「こころ」の感想

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夏目漱石の「こころ」を読んだが、個人的には、すごくモヤモヤする話だった。

あらすじ

学生の「私」は、鎌倉の海岸で出会った「先生」に惹かれて師弟関係のようになる。学問をしているのに世には出ておらず、無口な先生に知性を感じて「私」は惹かれていたのだが、先生は過去についてほとんど話してくれなかった。

「私」の父親が病で危篤状態だったため「私」は実家へ帰る。その頃、明治天皇の死や、それに続く乃木大将の自殺など、衝撃的な事件が続いていた。いよいよ父親が亡くなりそう、という時になって、先生から長い手紙が届く。そこに「この手紙を読んでいる時、私はもうこの世にいないでしょう」という内容を見つけた時、「私」は先生の元に駆けつけながらこの手紙を読み始める。

手紙には、先生がいつか「私」に話すと約束した先生の過去について書かれていた。先生は昔、叔父に騙されて遺産の一部を相続できなかった。また、今の妻は学生時代に住んでいた下宿のお嬢さんだった。その下宿には親友のKも住んでおり、Kもお嬢さんのことが好きだったのだが、先生はKを騙すような形でお嬢さんと結婚した。失恋したKは自殺。先生はKの死の責任は自分にあると考えてずっと苦しんでおり、自殺も考えていたが、妻を残すことが気がかりで生きながらえていた。しかし、乃木大将の自殺を機に、自分も自殺することを決意。死ぬ前に「私」に手紙を書いたのだった。

感想

「こころ」は元々新聞の連載

話の半分くらいを先生の遺書が占めている。手紙として遺書を書いているはずなのにやけに遺書が長いという矛盾は、この話が元々新聞の連載として書かれたことが関係しているようだ。先生の遺書は元々もっとコンパクトで、危篤状態の父を放置して先生の元に駆けつけた「私」に焦点を戻すつもりだったのではないかという予想もあるらしい。

実際、遺書には自殺するつもりになったこと、先生とKの恋物語の中心になっていた妻には自殺の理由を明かして欲しくないことを記しただけで終わっており、遺書を読んだ後の「私」の描写は全くない。果たして「私」は本当に妻に先生の自殺の理由を明かさないだろうか・・・。
先生の生前から「何か隠し事があるのか」「私の嫌なところがあれば言ってほしい」と泣いて言っていた妻は、先生の死が自殺だと気がつけばきっとその理由を自分に求めて苦しむだろう。先生は遺書を書いているのを妻には隠していたらしいが、「私」に電報や手紙を送ったことなどは後から気がつくだろうし、そうなれば「私」が何か知っているはずと気が付く。
これで妻もKや先生の死因を知れば、彼女もまた自殺しようとしかねない。

先生の自殺後の方が色々大変そうで、モヤモヤする。

因みに、遺書の最後に「妻には言わないでくれ」と頼まれているのに、物語の冒頭が「私はその人を先生と呼んでいた・・・」と「私」の語り口調で始まっているのも、この話が連載として書かれた故の矛盾のようだ。結局漱石は連載を途中で止めている。

死の理由について

自殺しようかと悩みながら、結局生き抜く道を選んだドストエフスキー「罪と罰」を読んだ後だからなおさらそう思うのかも知れないが、
「え、それで死ぬの?」
と思ってしまった。
最終的に、先生は明治天皇が死に、乃木大将が「殉職」したことに感化されて自殺しているあたり、すごく日本人的発想なのではないかとも思った。

「精進に生きる」と言う自分の信念を守れなかった自分に失望して死んだK。
Kを追い詰めた自分は死ぬべきだ、天罰を受けるべきだ、と思いながらも妻を思って生きてきたが、明治の終わりに自殺を決意した先生。

Kはともかく、先生の死のきっかけに関しては本当によく分からない・・・。

現代に置き換えると・・・

先生も手紙の中で何度も「当時は現代のように自由に恋愛する風潮はなかったから奇妙に見えるかも知れないが」というようなことを断っているが、「私」世代でもそうなのだ。現代人が読むと、
「あの子のこと好きなんだよね」
を言うのに何でそんなに時間がかかるんだよ、なんて思う。

Kが先生にお嬢さんが好きなことを伝えた後の流れも、現代的に考えるとよく分からない。現代に置き換えて話をするとこんな感じではないだろうか。

現代版・Kと先生の恋愛戦争

テニスプレーヤーの一家に生まれたKは、小さい頃から色々なものを犠牲にしてテニスの練習に全てを捧げてきた。「僕にはテニスしかない。テニス以外のことを考えてはダメだ。そもそも、一つのことに集中せずにふわふわ生きるなんて、人間としてどうかと思う」と言っていた。私もスポーツはしていたが、その時お嬢さんが好きで練習に手が付かないこともあったので、それを聞くのが苦痛だった。また、自分が恋をしていることも話せなかった。

ある日、Kにお嬢さんへの恋心を告白された。しかし、今までストイックに生きてきたため、自分が恋をして良いものか、この恋を進めても良いものかと悩んでいるらしい。私はお嬢さんを諦めたくなかったので、「テニスに集中して生きると言っていたじゃないか」と言った。Kは、「そうだな、覚悟はできているんだ」と言った。

Kにはお嬢さんとの恋を進める覚悟があると思った私は、Kに知られないようにお嬢さんを手に入れたいと思い、お嬢さんのお母さんにお嬢さんと結婚させてくれと頼んだ。急な話だったが、承諾された。

先生自身も言っていたが、今まで真面目に、精進して生きていたストイックなKが言う「覚悟」をお嬢さんと生きる覚悟だと思ったのは、中々早とちりではないか。しかも、Kに内緒でいきなり結婚を申し込む有様である。普通結婚した後Kに何て言おうか、と最初に悩まないか?

まとめ

中々賛同しかねる感情が多く描かれていたが、時代背景を考えれば納得できる部分もあるんだろうとは思う。ただ、現代人としては理解しかねる。

また、先生の遺書が始まったあたりから先が読めてしまうのがちょっと・・・。先生の感情が細かく書かれているとはいえ、その感情がいまいち理解できないので長ったらしく感じてしまった。

この時代の文学はだいたいそうだろうが、男女交際が活発でないので男目線の「女はこういうものだ・・・」というのが多い。

若い女として御嬢さんは思慮に富んだ方でしたけども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。

Kははじめ女からも、私同様の知識と学問を要求していたらしいのです。そうしてそれが見つからないと、すぐ軽蔑の念を生じたものと思われます。

逆に、この時代の女性作家の作品はどうなっているんだろうと気になった。


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