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「嫌われる勇気」アドラーの心理学

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「嫌われる勇気」を読みました。アドラーの心理学を、自分なりにまとめてみようと思います。

心に残ったアドラーの考え方

目的論

フロイトの原因論では、過去の原因のせいで現在の結果が起きる。
しかし、アドラーは目的論の立場に立っているので、現在の結果は過去のせいにはできない。

「大学受験に失敗したから良い職につけない」のではなく、「良い職につきたくないから大学受験の失敗を言い訳にしている」。良い職を得るために努力するのが嫌だから、過去に言い訳しているだけだ。

「Aさんが嫌いだから仕事ができない」のではなく、「仕事をしたくないからAさんの欠点を探して嫌いになっている」

「トラウマがあるから変わる勇気が出ない」のではなく、「変わらない、安心できる今の自分でい続けるために過去の悪い記憶を引っ張り出している」

「もし◯◯だったら小説家になれるのに」ではなく、小説家になろうとして失敗するのが怖いから、「もし〇〇だったら」という理由をつけて、小説家になれる可能性に生きようとしているのだ。

人生は競争ではない

人間には優越性の追求があるので、現状より進化しようと前に進んでいく。生まれた時には歩けも話せもしない赤ん坊が、勝手に大人に成長していくように。

ただ、人生は競争ではない。昨日の自分より前に進もうとしているだけで、他者より前に進もうとしているわけではない。
自分の理想との比較で劣等感を感じるのは健全だが、他者との比較の中で感じる劣等感は劣等コンプレックス。原因を過去に言い訳して、不幸であることで自分を「特別」に感じ、前に進もうとしなくなってしまう。

自分の顔を気にしているのは自分だけ。他者と競争している、という意識を持たず、他者は仲間だと認めることができれば、他者と比較して劣等感を抱くことはなくなる。また、「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」ので、人生から悩みがなくなる。

人間の悩みは、全て対人関係の悩みである

自立し、社会と調和した人生を送るために必要なタスクは「仕事」「交友」「愛」の3つ。これらは全て対人関係の悩みになると言える。例えば、「仕事が辛い」という時問題になっているのは、仕事で失敗した時に叱責されることであり、仕事そのものではない。

「対人関係に問題がある」と感じるのは、対人関係を理由にしてやりたくないことがあるからだ。「Aさんが欠点だらけだから仕事が進まない」のではなく、Aさんの欠点を粗探しして、嫌いになることで仕事を進めない理由を作っているのだ。

他者の課題を分離する

対人関係のトラブルは、他者の課題に介入することで起きる。そこで、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か」を考える。そして、「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」ことを理解する。

他者の課題を認識し、アドバイスすることはできても、実際に他者が行動するかどうかまでは自分は決められないのだ。他者は自分の期待に応えるために生きているわけではない。

逆に、自分の課題に介入された場合はどうするのか。この場合も、他者の課題を分離して考える。上司が理不尽な怒りをぶつけながら自分に命令してきても、その「怒り」は上司の問題であり、自分が命令に従うかどうかは自分の問題である。嫌々従うことはない。
この時課題になるのが「承認欲求」だ。人には承認欲求があるため、自分の価値を見い出すために人の期待通りに動こうとする。しかし、それは自分の意思に反して他人に従いつずけること。自由ではない。

嫌われる勇気は、自由になる勇気だ。

共同体感覚

共同体感覚とは、他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること。
ただし、この場合の共同体は対人のみならず、世界全人類、くらいのサイズ感だ。また、「自分の居場所がある」というだけでなく、自分があくまで共同体の一部であり、世界の中心ではないと認めなければならない。

その上で、「私はこの人に何を与えられるか」を考え、他者に貢献することで共同体感覚を得られるようになる。しかし、ここは「貢献」であって、「介入」ではならない。あくまで対等の立場で自分にできる範囲の援助をし、逆に援助をされた場合はまた対等に感謝を伝える。共同体の中では、経験や能力に差があっても対等な関係を意識する。

また、共同体の内部の人間は「信頼」できる仲間だとみなさなければならない。共同体感覚は人を幸福にするが、信頼のない、浅い対人関係しか築いていないとその幸福もまた小さい。信頼した結果裏切られた時は悲しいかもしれないが、その悲しい経験を理由に次の挑戦を拒むことは、目的論上できない。

自分には価値がある

人は、自分には価値があると思えた時にだけ、勇気を持てる。
そして「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えた時に自分に価値を感じる。

しかし、「〇〇してるから私は有益」と考えているだけでは行為レベルの有益になってしまい、それを追求することは承認欲求を追求して、不自由でも他人の期待通りに行動しようとすることと変わらない。

そうではなく、存在レベルの有益を目指す。存在しているだけで共同体にとって有益で、自分には価値がある。そう感じるためには、まず共同体内で対等な横の関係を築いて行く必要がある。

存在レベルで有益になった上で、他者貢献ができれば、共同体にとって有益だと実感することができ、自分には価値があるという確固たる自信が持てる。他者貢献とは自己犠牲ではなく、「自分は誰かの役に立っている」と実感すること。

今を生きる

人生に目標を立ててしまったら、その目標を達成するための人生は「道半ば」になってしまう。そうではなく、「いま、ここ」を生きるようにする。目的地はない。

ただ、それだけ自由だと人生に迷うこともあるので、迷った場合は「他者貢献」を選ぶ。
他者貢献ができれば共同体感覚が得られる。共同体にとって有益だと感じられれば、自分に価値を感じ、勇気を出すことができる。勇気があれば、目的論上自分の課題は全て自分で解決することができる。

まとめ

個人的に一番難しいと思ったのが、「人生は競争ではない」という部分。

優越性の追求によって、今日より明日、と自分自身の比較で成長できた方が良いのだろうとは思うが、今まで他者との比較によって、その競争意識のおかげで成長してきた。共同体にとって有益かどうかより、「他者より〇〇できるから有益」だと感じることで自分の価値を感じてきた。劣等コンプレックスを感じそうになった時は、競争の土台を変えることで回避してきた。

しかし、他者を競争相手ではなく信頼できる仲間として捉えることができれば、共同体感覚を得て、自分の居場所を実感できる。信頼できる仲間と深い対人関係を築くことができれば、裏切られた時の悲しみが大きい代わりに、それによって得られる喜びも大きいのだろう。また、たとえ競争に負けても、存在レベルで有益だと感じ、自分の価値を保ち続けることができる。

競争による価値の追求ではなく、共同体の中での他者貢献によって価値を感じること。他者を信頼し、仲間だと認め、共同体の一部になること。
目的論上、自分がそう変われない原因は存在しない。変わる勇気がないだけなのだ。

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