リベラルとは、個人の自由、個性を重んずるさま、自由主義だと定義されています。
対義語は保守で、旧来の風習・伝統を重んじ、それを保存しようとすることです。(広辞苑)
私の主張を先に述べると、「リベラルだけど市場主義」です。
私にとってのリベラルとは、「生まれは選べなくても、その後は自分の意思と努力で自由に人生を選べること」です。
個人は自由であるべきという意見に反対する人は少ないのでしょうか。
しかし、一つ一つの問題に目を向けると、上記の大前提は皆持っているはずなのに多種多様な意見が出ます。
私は多様な意見があることは認識しています。
その上で、自分の意見を固めるために論点を書いていこうと思います。
また一口に『リベラル』と言ってもそれらが同じ意味になるとは限りません。
以下はあくまで、私にとってのリベラルな主張です。
Contents
私はリベラルとして何に賛成/反対するのか
LGBTQ擁護
異性を愛そうが同性を愛そうが個人の自由です。
従って、同性の結婚を反対する理由はありません。
同性婚を認めると子供が増えないなんて話もありますが、そもそも、子供を作るかどうかも個人の自由です。
異性婚したからと言って必ず子供ができるわけではない上、子供を作ることが人類の義務だとも思っていません。
ジェンダー差別撤廃
女性であること、男性であることは生まれた瞬間に決まることで、性転換をしない限り自分で変更することはできません。
「生まれは選べずともその後は個人の自由選択が可能であるべき」がリベラルの主張なので、性別によって自由選択が不可能になることはあってはいけません。
従って、選択的夫婦別姓にも賛成です。
夫婦どちらの姓を名乗ろうと個人の自由ですし、どちらかの姓に統一することを強制するのはリベラルな考えに反します。
話はそれますが、ジェンダー差別について言うなら、私は性別は男と女に2分されるようなものではなく、グラデーションだと考えています。
男性ホルモンと女性ホルモン、どちらが多いかという話です。
男性ホルモン9割、女性ホルモン1割だから自分は男性だと主張する人もいれば、男性ホルモン5割、女性ホルモン5割だからどちらでもないと主張する人もいる。
そもそも男性か女性かがはっきりしないのだから男女差別など認められるはずもないですし、LGBTQのことも理解できるというわけです。
グローバル化
生まれは選べなくともその後は自由、が主張なので、貧しい国で生まれた人でも先進国に出られるような世界には賛成します。
逆に、日本で生まれたとしても、優秀な人がより優秀な人が多い環境を求めて海外で働くことも納得できます。
それでより良いプロダクトや研究ができるのなら、最終的には世界が良くなるはずだからです。
移民・難民の受け入れにも賛成です。
日本では移民・難民の受け入れが非常に少ないです。
その上、日本で働きたいと思って来日した外国人研究生を不当に働かせているような現場もあります。
これが日本で働く日本人の雇用を守ることに繋がっているわけですが、それでも私は移民・難民の受け入れに賛成します。
リベラルは残酷な能力主義である
私にとってのリベラルは残酷な能力主義だとも言えます。
そもそも、人類が生まれた後の生き方を自分で選択できるようにしようとしたのは最近になってからの話です。
江戸時代には士農工商という身分階級があり、『士』の子供に生まれれば『士』になるし、『商』の子供に生まれれば『商』になります。
長男であれば家業を継ぎ、次男であれば軍に入る、女であれば嫁に行く、と生まれた瞬間から生き方が決まっていた訳です。
それはとても楽な生き方だったでしょう。
「自分はどうなりたいんだろう」なんて悩む必要がないし、努力しなくても『士』の子供に生まれただけで『士』になれるのです。
もし生活が困窮したとしても、それはその身分階級に生まれたせいで合って、自分でその職業を選択した結果ではないのです。
しかし私は、現代に生きる人間としてこの身分制度を否定します。
リベラルとは、個人の自由選択と能力・努力によって、『士』にも『商』にもなれるということです。
移民・難民の受け入れに賛成するのもこれが理由です。
貧しい国に生まれたとしても先進国で稼ぐことができる。
反対に、先進国に生まれたとしても努力と能力次第では生活に困窮する職業に就くことになるというのは、私にとっては自然な流れです。
リベラルはテクノロジー進歩に逆行する?
アメリカのトランプ元大統領は保守派でした。
そのトランプ大統領を支持していた著名人に、ピーター・ティールがいます。
ティールはシリコンバレーで成功したサイバーリバタリアン(要するにリベラル)です。
なぜリベラルであるティールが保守のトランプを支持するのか。
そこには、テクノロジー主義が関わってくるようです。
リベラルでは生まれながらに皆平等、自由万歳と言いますが、実際の社会ではGoogleなどのGAFAが市場を独占している状態です。
全員が自由選択できるはずなのに、ネットを使うだけでGoogleなどのシリコンバレー大企業に情報提供することになってしまう。
ティールが保守のトランプを支持するのも、巨大IT企業の寡占市場には保守的な全体主義が適していたからではないでしょうか。
能力主義なリベラルはプライバシー侵害を認める
過去に、技術進歩や情報提供、プライバシーについての記事を書きましたが、私の考えとしてはこの時から変わっていません。
一部の人間にしか理解できないくらいに、テクノロジーは高度に発達しました。
多くの凡人は自分の個人情報がどう使われるのかすら理解できないのだから、それを提供するのは当然。
偉大なGAFAにちっぽけな凡人である自分がプライバシー侵害されていると考えるなんて、思い上がりも甚だしいという考えです。
私は能力主義的で残酷なリベラルを認めたのだから、GAFAで働くような一部の能力のある人が得をすることも認めます。
ただし、私にもシリコンバレーに移住する権利はあるべきだと思うし、私の子供は努力すればシリコンバレーで働く権利があるべきだと思うのです。
反リベラルなプアマジョリティー
日本でのマジョリティー・既得権益保持者は、日本人男性です。
普通、既得権益保持者は、その既得権益のために得をしているはずなのですが、リベラル化する中でそうではなくなることがあります。
既得権益者が得を失った状態が、プアマジョリティーです。
プアマジョリティーは、自分の利益を守るため、マジョリティーとしての自分のアイデンティティーに固執します。
日本で言えば、日本人であることと、男性であることです。
日本人が貧しくなるのは在日朝鮮人のせいだと考えた結果がヘイトスピーチ。
女性差別だなんてホラを吹くのを許さない、フェミニストが嫌い、家父長制こそが秩序だと言うのがミソジニー。
ドメスティックで、保守的な考えです。
上級国民/下級国民
今回の記事は、橘玲氏の『上級国民/下級国民』を読んで考えたことです。
筆者に明確なスタンスがあるわけではなく、世界が分断されていることを説明した本なので、より一層自分の意見がどこにあるのかを考えるきっかけになりました。
リベラル・保守とひとくくりにすることはできないはずです。
しかし、スタンスを説明する言葉があるから、どこまでが自分と一致していて、どこまでが一致していないかが分かります。
性別と同じように、リベラルと保守もグラデーションだと思うのです。
いずれにせよ、分断される世界の中で、ただクラゲのように流されて生きるのではなく、一人の人間としてどう考えるのか、意見を持った人でいたいと思います。