本田勝一の『アムンセンとスコット』を読みました。
イギリスから来たスコット隊と、ノルウェーから来たアムンセン隊。
2グループとも「世界初の南極点到達」を目指し、過酷な冒険レースを始める。まだ1910年代。現代のような十分な装備もない中、好奇心と冒険心で南極を目指す。
結果的には、歴史で習った通り、世界初の南極点到達を成し遂げたのはノルウェーのアムンセン隊。スコット隊は帰路で全滅してしまう。しかし、それは偶然ではなく、アムンセンは成功するべくして成功しており、スコットは立派だったが失敗すべくして失敗している。
この本には命がけの場で成功するために必要な要素や、その状況でリーダーに求められることが書かれているのだ。
緻密な計画
油断が命取りになる南極探索で計画を立てることは当たり前なのだが、アムンセンとスコットではその緻密さに大きな差がある。
アムンセンの船にはありとあらゆる南極大陸の資料があった。南極に向かって取るべき航路も事前に調べられており、船の形も暴風雨に強いものに改良されている。南極大陸での冒険レースにおいて大きな差を生み出した犬ぞりの犬に関しても、南極までの移動中から最も重要なものとして大切に世話されている。また、寒地で脅威となる壊血病に関しても常に注意を払っている。
一方のスコットは、しっかりとした資金源があったにも関わらず捕鯨船を改良した探検船を使った。スコットは2度目の南極上陸だったが、前回の南極探検で犬が移動中に死んだという南極とは関係のない理由から犬ではなく馬を連れて行った。しかも、馬の餌としては重くかさばる馬草しか用意しておらず、探検の途中で餌が切れている。
先々まで見据えた計画だったとは言い難いだろう。
南極到達後も、犬ぞり用の犬まで食料として計算した上で計画を決めたアムンセンに対し、スコットは餌切れのために動物を射殺したり、南極点到達の人数を急に増やしたりと行き当たりばったりの行動が目立つ。
最後まで犬ぞりを使って楽に移動したアムンセンに対し、かなり早い段階から人間の手でソリを引いていたスコットについて読んでいると、とてもヒヤヒヤした。
本当にやりたくてやっているのか
南極点到達に置ける意思という点でも、アムンセンとスコットには大きな差があった。
アムンセンは、いわば根っからの冒険家である。幼い頃から冒険家を目指し、そのために体を鍛え、知識もつけてきた。一方スコットは、イギリス海軍士官の中から選ばれてこの探検の隊長になった。
確かにスコットは海軍の厳しい訓練に耐え、忠誠心に厚い立派なイギリス人だったが、純粋に冒険に憧れていた人と命令遂行のためにやっている人で差が生まれるのは自然な流れだろう。
おそらくこれは現代社会でも言える話で、いくら忠誠心や出世欲が強くても、純粋な憧れや楽しみのために日常から努力してきた人には敵わないのである。
チームを見守るリーダーシップ
この冒険レースでは、アムンセンとスコットは冒険中お互いの状況を知らないし、レースの結末など知る由もない。しかし、私は結末を知らなくてもどちらかの隊を選ぶならアムンセンの隊に入りたい。
各隊の中で、実際に南極点に到達できるのは数名ずつである。他のメンバーは基地設営などのサポート作業を手伝うだけ。それでも、アムンセン隊のメンバーは常に「当事者意識」を持てるようになっていた。
例えば、南極探検に耐え得る雪メガネや下着について考えるとき、アムンセン隊ではメンバーが自分のアイディアを発表して一番良いものを選んでいた。ノルウェーから南極大陸に犬を運ぶ時には、隊の中の各班に犬を割り当て、自分の班の犬は責任を持って世話するように言っていた。
感情論ではなく、各メンバーが本当に南極点到達にコミットしていたのである。
一方のスコット隊には、イギリス海軍から持ち込んだ序列が南極大陸においても存在していた。下流階級は下働き、上流階級が命令する、という構造は、表面上は上手くいっても裏ではそうではない。下流階級は常に精神的ストレスを抱えることになり、実際にスコット隊が追い詰められた時に死んだ順番を見ても階級の下から死んでいる。
フラットな組織を築き、リーダーは部下から慕われつつ信頼され、尊敬されているか。どんな仕事でも重要なチームビルディングのポイントだろう。
まとめ
『アムンセンとスコット』には、下準備や不可能に挑む時のマインド、チームワークなど学べる部分が多くあった。
未知なるものに恐れず挑むこと。ただし、たとえ未知でもできる限りの事前準備を怠らないこと。緻密な計算と、時に大胆な判断力。
しかし一番は、「冒険」という一見無駄に見えるものに挑戦することでどんなに大きなものが得られるのかが分かる。