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採用基準ー地頭より、論理的思考力より、大切なもの
伊賀泰代さんの『採用基準ー地頭より、論理的思考力より、大切なもの』を読了しました。
社会派ブロガーちきりんのTwitterは私もフォローしていましたが、伊賀泰代さんがあの「ちきりん」だったようです。
読み終わった後に知って驚き。。。
本書はマッキンゼーの採用に関わっていた著者が、マッキンゼーが求める人材の条件と、日本でその基準に達している人を採用することがなぜ難しいのかを記しています。
グローバルで一律の採用基準を持つマッキンゼーが求める条件は、以下の3つ。
- リーダーシップがあること
- 地頭のよさ、もしくは個別分野における知識や経験
- 英語ができること
マッキンゼー日本支社での採用基準には、上記に加えて「日本語ができること」が求められます。
そうなると、1~3の条件を満たす日本人を採用することになるかと思いきや、日本人には1と3ができる人が圧倒的に少ない。
結果的に、アジア諸国から日本に来た留学生を採用することが多いそうです。
日本人にも2の地頭のよさを持つ人はいます。
3の英語力については、確かに日本人が苦手とする部分ですが、最近は皆英語の勉強を頑張っています。
問題は、他の欧米企業でも重視される1の「リーダーシップ」を持っている日本人がとても少なく、さらにそれが問題視されることすらないという点です。
リーダーシップを持つのは特別な一人?
この本に書かれていた通り、私もこの書を読むまではリーダーについて大きな勘違いをしていました。
組織にリーダーは一人。
その一人は、スティーブ・ジョブスのようなカリスマ性のある、特別な人だと。
しかし、どんなにカリスマ性のあるリーダーでも、一人で大きな組織全体を変えることはできません。
ビジョンを共有した一人ひとりが、自分で考え、対等に意見を言い合う必要があります。
会議の場を思い浮かべてみましょう。
典型的なリーダーが一人しかいない組織では、会議の内容を決定するのは全てリーダーです。
他のメンバーは、リーダーの顔を伺いながらリーダーの判断を助けるために情報収集します。
逆にリーダーは、メンバー全員を一人で導く必要があるので、判断が慎重になり、スピードは遅くなります。
さらに、メンバーに自分の意見に賛同していない人がいることに気付いた場合は、決定後に、その人のフォローもする必要があります。
会議に参加している人全員にリーダーシップがあった場合はどうなるでしょう。
若手でも情報収集するだけではなく、収集した情報から自分の意見を持ちます。
複数のベテランの意見を聞いた結果、各ベテランがそれぞれ違う意見を言ってきた場合、自分でどのベテランの意見を採用するのかを決めます。
ベテランも、自分一人がリーダーではないので、その時点で分かっている情報と自分の経験から言えることを素早く述べられます。最終的な決定は、他のベテランや情報収集してきた若手まで含めた全員で下すものだからです。
スティーブ・ジョブスのようなカリスマ性のあるリーダーは、育てるものではなく誕生するものなので、日本でもたまにいます。
日本人に足りていないのは、社会人基礎力として全員に求められるリーダーシップ。リーダーの総量です。
上の指示を待つのではなくて、自分で考え、判断し、行動する力です。
リーダーの仕事とは
リーダーの仕事は、成果を出すことです。
そのために必要なのは4つ。
目標を掲げる
達成するべき成果目標が明確になっていないと、チームを一つにまとめ、動かすことはできません。
カリスマ性のあるリーダーが特に得意とするのがこれでしょう。
チームを奮い立たせることはリーダーの仕事なので、「自分の性格には合わないから」などとは言っていられません。
先頭を走る
最初の一人になること、先頭を走ることにはリスクが伴います。
リーダーが一番前で最初に方向性を決めてこそ、メンバーは安心して走ることができます。
決める
リーダーは、例え十分な情報が揃っていなくても決断する必要があります。
情報が揃っていない状況で決定することにはリスクが伴いますが、情報が完全に出揃っているならリーダーでなくても判断できます。
「悪い判断だったとしても、何も決められないよりは良い」と思って、とりあえず前に進む勇気が必要です。
伝える
リーダーには、なぜその判断をしたのかをメンバーに説明するという説明責任があります。
「言わなくても分かる」くらいに同質的なメンバーしかいないチームであれば、明示的に伝える必要は無いかもしれません。
しかし、そんな同質的なチームで達成できることは大したレベルにはなりません。
同じようなことしか考えられない人が何人集まっても、結果は変わらないからです。
リーダーシップの学び方
リーダーシップは、カリスマ性のある一部の人のものではなく、社会人全員に求められるべき基礎力です。
そして、その力は後天的にトレーニングすることができます。
この本では、マッキンゼー流のリーダーシップの学び方が紹介されています。
バリューを出す
会社に学びに来ているのでなければ、社員は常に、成果目標に対して付加価値を提供する必要があります。
資料を読むのに時間を使ったなら、その資料から得た知見から今の業務をどう変えれば良いのか思いついている必要があります。
会議に参加したのなら、他の参加者の思考を助け、最終決定に貢献する必要があります。
自分の成果、バリューを常に考えることで、重要なタスクが何なのかが分かります。
リーダーになった後も「成果目標を達成するためには何をすれば良いのか」が分かるようになるのです。
ポジションをとる
自分の意見を持つ、という意味です。
リーダーでなくても、ただ情報収集をするのではなく、収集した情報から自分の意見を発信しなければなりません。
自分の意見を発信する必要があると分かっていれば、無駄な情報収集はしなくなります。
「投資するべきか」を決めるなら、「投資しない」というポジションをとれると分かった時点で、なぜ投資しないべきなのかを事細かく調べる時間は無意味なのです。
これはリーダーの「決める」仕事の練習です。
自分の仕事のリーダーは自分
上司は自分に指示を与える人ではなく、より良いインプットをもらうための知識人です。
そうであれば、「自分の仕事を全うするためには上司に何をしてほしいのか」を考え、自分がリーダーとなって上司に指示する必要があります。
ホワイトボードの前に立つ
忘年会の計画でもなんでも良いので、実際に議論のリーダーシップを取る実地訓練が必要です。
「できるようになったら、リーダーシップを発揮する」ではなく、「できない部分は改善方法のフィードバックをもらう」という方法で学んでいかないと、リーダーシップは身に付きません。
実際にやってみて初めて、自分には足りないものが分かるのです。
勘違いされるリーダーシップ
リーダーは、「カリスマ性のある特別な人」でも、「指示してくる煩い人」でもありません。
社会人全員が持つべき基礎スキルであり、役職としてリーダーでなくても全員が発揮するべき力です。
リーダーが「煩い人」に見えてしまうとしたら、それは自分がリーダーとして苦労した経験がないから。
日本の総理大臣がコロコロ変わるのは、日本人一人ひとりにリーダーシップがないからだという記述がありました。
日本人は、ある日カリスマ性のあるスーパースターのようなリーダーが現れて全てを変えてくれることを期待しているので、新総理大臣になった後に一定期間何も変わらないと、「この人はリーダーじゃなかった」と見限ってしまう。
しかし、実際は一人で全てを変えることは不可能です。
変わることができるのは、「問題を解決し、新しい未来を作るのは自分たち。それを率いるリーダーが必要」と全員が考えている組織だけです。
「自分がリーダーだったらどうするべきか」を皆が考えていないと、良い成果を残すことはできません。
自分がリーダーとして、自分が気になっていた問題を解決できれば、それは大きな喜びになるでしょう。
リーダーシップを発揮する規模が大きくなるほど、自分で解決できる問題の規模も大きくなります。
私も「ホワイトボードの前に立つ」経験から、リーダーとしての経験を積んでいきたい。