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祖父の死。孫として参列するお葬式。人が亡くなるということ。

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2022年9月28日。祖父が亡くなった。
享年85歳。誕生日に亡くなったので、ぴったり85年の命だった。

数年前からガンで入退院を繰り返しており、6月にはあと数か月の命だろうと言われていた。
新幹線でも車でも移動に半日はかかる場所に住んでいたので、小さい頃は一年に一度、大きくなってからは数年に一度の頻度でしか会っていなかった。

7月には家族で祖父に会いに行った。
最後かもしれないと分かっていたのに、5年ぶりくらいの祖父と何を話して良いのか分からず、まごまごしてしまった。

入退院を繰り返していた理由はガンだったが、死因は転倒に始まる複合的なもので、病気で衰弱していく様子を祖母が看ずに済んだことは良かったかもしれない。
余命宣告は受けていたものの、祖母に寿司や梨を食べたいとねだって食べられるくらいには元気だったようだ。

亡くなったと連絡を受けてすぐに、会社に忌引きの連絡をして、翌日には祖父が住んでいた和歌山に向かった。
両親に言われて、葬式に参列する用意はできていた。
喪服に黒い鞄、真珠のネックレス、黒いストッキングに白いハンカチ、数珠。結局受け取ってはもらえなかったが、御霊前と書いた香典袋も袱紗に包んだ。
こういう時に何が必要なのか、会社への申請方法などを事前に調べておいたのは良かったと思う。

葬儀は親族だけで行う家族葬だった。
祖父の元職場に亡くなったという報告はせず、親族の中でも遠方に住む遠戚には声もかけなかった。
28日に亡くなり、29日に子、孫が集合し、30日にお通夜、そのまま夜伽として会場に一泊し、翌日1日に告別式、骨上げとなった。
葬儀屋とのやり取りは祖母や父が行うし、家族葬となると集まるのは知り合いだけで受付や香典のやりとりもないので、孫ができることは母のお茶出しの手伝いくらいだった。
弔辞を読むようなこともなく、葬儀は淡々と執り行われた。

祖父の棺に花を手向けた時、祖父の棺が火葬場に入っていくときには涙がこぼれた。
自分が知っている自分の命の大本になった人がこの世を去ったのかと。それはこの世の道理だし、正しい順番なのだけれども、本当にいなくなってしまったんだなと。なんやかんやと口論しながらも長年連れ添った祖母は何を思っているんだろうかと。

亡くなってからできることは本当に少ないんだなと思った。
田舎に住む祖父と、都会で生活する孫。日常の中で祖父の存在を意識することはほとんどなかったが、住んでいる場所が離れていても孫は孫だ。自分が育てた子供が育てた子。血の繋がりというか、思い入れがあることは間違いないのではないだろうか。
だから、生きているうちに積極的に関わらないといけないんだと思った。
私の場合は、最後に祖父に会った時に、自分の家の歴史や祖父の人生についてもっと聞き出さなかったことが後悔になった。孫は2人しかいないのに、私が祖父について語れることはあまりにも少ない。

あなたの遺伝子が、あなたの生きた証が、きちんとこの世に残っていますよ、と。
あなたの終わりゆく命の代わりに、きっと私は新しい命を宿しますよ、と。
亡くなった祖父に思いを馳せて、祖父の霊に伝えていきたい。

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