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「同志少女よ、敵を撃て」の感想 独ソ戦を女性狙撃兵の視点で描いた圧巻の物語

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電車で読み始めたら止まらなくなって、降りる駅を2回間違えるくらいにはすごい作品だった。
第11回アガサ・クリスティー賞を受賞した、逢坂冬馬さんの『同志少女よ、敵を撃て』

舞台は第二次世界大戦の独ソ戦。
主人公セラフィマは、ソ連の田舎町で母と狩りをしていたが、18歳の時に突然村に来たドイツ兵に母を含めた村人全員を殺されてしまう。
救援に来たソ連の狙撃兵イリーナに「戦いたいか、死にたいか」と問われ復讐のために戦うことを選ぶ。
同じ年頃の少女を集めた狙撃兵の訓練学校で、イリーナに鍛えられた。

実戦に投入され、亡くなっていく仲間。
しかし、セラフィマ自身も狙撃兵としてドイツ兵を殺している。
捕虜になれば蹂躙されるという女性としての恐怖。
しかし、ソ連の男性兵士もまたドイツ女性に乱暴しているらしい。
そして戦争が終われば、勇敢に戦った男性兵士と、それを家で待った女性たちだけが存在する。

ロシア、ウクライナの関係が示される部分もあってタイムリーな内容にドキッとするが、発行は2021年なので2022年のウクライナ侵攻とは関係ない。
とはいえ、2014年のクリミア半島ロシア併合は意識して書かれたそうだ。

「戦争は女の顔をしていない」
これは戦争に限った話ではないのかもしれない。
セラフィマは100人を超える敵の命を奪い、勲章も授与されたが、”国民の物語”の中に女性兵士はいなかった。

戦争中の女性への暴行は大きな問題とはとらえられず、「野蛮なロシア人にドイツの女が犯される」ことはドイツ人にとってもドイツの戦争を正当化するために需要があった。

ロシアの兵士は「ドイツ人にロシア人の女を犯させない」ために戦った。

「なぜソ連は女性兵士を戦闘に投入するのか」
アメリカのプロパガンダでは女性は兵士を送り出すチアリーダーをしていた。
ドイツのポスターでは、女性は農業と家事と看護に明け暮れていた。
なぜセラフィマ達は前線で戦うのか?

セラフィマがドイツに占拠された地域でドイツ人の娼婦のように生きる女性市民を見る目に、キャリア女性が専業主婦を見る目と同じ色を感じた。

女性を助ける。そのためにフリッツを殺す。自分の中で確定した原理が、どことなく胡乱に感じられた。今までは迷うこともなかったのだ。憎むべきフリッツは侵略者であり、女性を殺し、傷つけるのだから、それを殺して女性を救うということは。

p319、サンドラがスターリングラードから逃げなかったことを知ったセラフィマ

一口に女性といっても、色んな生き方がある。
自分が戦う目的がなければ極限状態で生き残れない。戦う目的を問われて、セラフィマはこう答えた。
「私は、女性を守るために戦います」

「ミハイル・ボリソヴィチ・ボルコフ」
故郷の心優しき幼なじみ。イワノフスカヤ村で自分の他唯一の生き残り。かつて、自分が結婚すると思っていた相手は、スコープの中で女を路上に引き倒し、周囲から喝采を浴びていた。

p443

敵と味方、正義と悪はいつだって曖昧。
だからこそ、「戦うか、死ぬか」の問いに2択以外の答えもできるのだ。

「治療をするための技術と治療をするという意思があたしにはあり、その前には人類がいる。敵も味方もありはしない。たとえヒトラーであっても治療するさ」

p452、ターニャ

女性の視点で呼んだからジェンダーについて頭をよぎったが、
そもそも女性兵士を投入していたソ連という知らなかった存在に着目しているのが面白いし、狙撃兵として敵を倒していく様子は圧巻。
戦地という極限状態に適応していく人間心理の描写も迫力があった。
まさに、”優れたミステリであると同時に、優れた現代小説”だった。

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