今日よりちょっと賢い明日、今よりずっと自由な未来

Liberal Arts & IT

BOOK

カルロス・ゴーンの履歴書

更新日:

Carlos has Gone

なんてジョークが流行ったのはもう4カ月以上も前のこと。
今なお話題に上がるときの人ですが、あの事件が起きる前は、瀕死状態の日産を救った救世主としてみんなに尊敬されていました。

若干時代遅れですが、日産をV字回復させ、CEOを退くまでの彼の「履歴書」を読みました。

これは2018年3月に出版されたもの。

「もちろん、私の人生は本書の最終章で終わったわけではない。2017年1月の連載以降も多くのことが起こった」

うん、多くのことが起こるよ・・・
なんて序盤から突っ込みたくなってしまう。。。

とはいえ、少し読めば彼がとてつもなく優秀な人だったのはすぐに分かりました。

1954年ブラジルで生まれた後、2歳の時に中東のレバノンへ移住。
大学はフランス・パリ、理工系の超名門、エコールポリテクニク。
給料をもらいながら勉強できるレベルの、政府が力を入れているエリート養成学校だ。

その後、博士課程に進むつもりだったのにタイヤメーカー・ミシュランにヘッドハンティングされ、フランスで7年働いた後ブラジルへ。
そこでも実力を認められ次はアメリカで働くことになる。
40歳になる頃には会社のNo.2として認められていた。

フランスの自動車メーカー、ルノーにヘッドハンティングされたのは43歳のとき。
この頃にはとっくに、業界外にも知れ渡るレベルの「コストカッター」「V字回復請負人」

ルノーでも大幅な業績回復を達成させたが、この頃自動車業界で大きな企業合併があり、ルノーも他社との対等合併を考えるようになる。
その時の相手が日産だった。

コストカッターとしての実力があるだけではなく、
ブラジル、レバノン、フランス、アメリカと様々な文化を渡り歩いてきたゴーンが日本に送られるのは自然な流れだった。
それまで日本に行ったのは1度だけ。
日本語はもちろん話せない。
それでも

「私はルノーのためではなく、日産のために来ました」

そう挨拶して、日産の新しいリーダーとなった。

古い日系企業をイメージすれば容易に想像つくが、当時瀕死状態だったとはいえ、日産社員が簡単に外国人経営者を受け入れるとは思えない。
ゴーンは大きな目標を掲げた上で、

「目標を一つでも達成できなければルノーの役員を全員連れてフランスに帰る」

と言ってのけた。

数字を示し、
フランス統治ではなく日本人社員が自主的に動ける環境を作り、
多文化企業の土台を作り、
日本文化を尊重しつつ年功序列等理不尽な制度を取り除き、
そして現場に足を運ぶ。

まさに「経営者」だ。

日産のV字回復を成し遂げた後はルノーのトップも任され、世界の名だたる企業のCEOを兼任することになった。
月の1/3を日本、1/3をフランス、残りの1/3でその他の国の拠点を回る生活。
日産とルノーにかけた時間がちょうど半分になるようにしたらしい。

仕事ばかりしていたわけではなく、家族との時間も大切にしていたことが伺える。
3人の娘と1人の息子。
働き始めてもなお父親とキャリアの相談をしている家庭がどれくらいあるだろう。

自分で書いた本なんだから当たり前だろうという話はありますが、非の打ちどころがない、本当に優秀な人なんだなという印象を受けました。
なんなら日産で働きたくなった。

結局4カ月前の事件は何だったのか。
日産のV字回復はどれほどのものだったのか。

今度もう少し分析してみたいと思います。

最後に、一番気に入ったゴーンの言葉

リーダーとは、だれもが「イエス」と言っているなかでも、ちゃんと立ち上がって「ノー」と言える人です。

ハヤブサ ナナミ

一橋大学商学部卒業後、外資系IT企業に就職。学生時代の専攻は財務諸表分析。学外では、就活用LINEchatbotを開発。文系卒SEとして「何を作るべきか」と「どう作るべきか」の両方が分かるようになりたい。英語はまあまあ中国語はもう少し。ちょくちょく海外独り旅。
Follow Me

-BOOK

Copyright© Liberal Arts & IT , 2021 All Rights Reserved Powered by STINGER.